2011年6月27日月曜日

自轉車家さんの愉しみ

今回は、至極、個人的な話題なのだ。悪しからずご了承くだされ。



 自転車屋の業務ってのは、自転車に纏わる、多くの事をやって然るべき存在でね、こう云っちゃあ何だが、人間的に器用でなければいけないのだと思う。一般的な普通の自転車から、スポーツ車の構造や部品知識、新旧の部品との互換性やら、現行自転車の販売とかね、メカニックやら、接客、営業販売、仕入れ、在庫管理と、忙しいのである。



 此処の所、ある程度年数が経っていてね、所謂経年劣化ってヤツで、特にマウンテンバイクのフロントサスペンションの交換等が、立て続けに入ったりしてね、勿論、山を走る人ばかりじゃ無いから、そのユーザーのニーズってのを鑑みながら、想像しながら組んで見る訳だ。



 ところで、自転車用のフロントサスペンションってモンはさ、歴史的には浅くってね、1980年代後半に、一部でオートバイ用のを一部改良して取り付けたりしたが、マスプロメーカーが採用したのは1990年代初頭であるんだね。最初の頃は、それでも画期的な事だったんだよ、フロントにサスペンションなんてね。マウンテンバイクも、単純にオフロード走行のみの単純走行から、ダウンヒルや、クロスカントリー、フリーライドとかね、競技の細分化に伴い、自転車の性能も、飛躍的に向上して行ったのだよ。後にリアにもサスペンションが採用され、それこそ紛い物も沢山出回ったのもこの頃だったね。



 あれ?90年からいつの間に、20余年経っちゃったんだねぇ、なんてぇボケをかましているかどうかのウチにね、サスペンションは劇的な進化をしていたのだね。しかも廉価になってリリースされている。高価なモノは勿論効果は素晴らしい。洒落ている訳ではないが…。だが、最近の廉価モノも、侮れないし、…いや、むしろ凄さを認めざるを得ないぞ。



 俄かにね、我々のオヤジ集団がさ、昔のMTB引っ張り出したりね、それを走れる様にってレストアしたりして、MTB熱が盛り上がりつつあるんだね。ロードレーサーと対極なんだろうが、それはまたそれぞれの面白さが有るからね。



 ま、この辺は、合致する部品を発注して、斬った張ったすりゃあね、取り付けが出来る訳なんだが、先日頼まれた、シュウィンのビーチクにカゴを付けてくれってのなんかさ、フロントフォークの径が日本のそれとは違うモンでさ、それこそステーを削る作業をする訳なんだが、結構大変だ。カゴステーとカゴブラケットの取り付け穴を加工する必要があるんだね。…昔の自転車って、この加工系の作業が本当に多かった気がするよ。



 他がやらない事を、やるって事。大事なんだと思う。手間暇は、当然だが掛かるぞ。だが、そんな付加価値ってのを出来るかってのが最終的な評価に繋がるのではないかと思うのだ。日本のスタンダードたる、普通自転車ってのはね、単一車種、単一サイズで、何しろ没個性的である。どこぞの国の人民服とか、制服とかみたいに、本当に個性が無い。少しのアイデアと、少しの勇気、そして少しばかりの散財。これだけでグッと良くなったりするのが自転車なんだよね。



 自転車がブームとなってね、スポーツ自転車とされるカテゴリーの、中古自転車を取り扱う業者も俄かに増えだした。ま、巷に自転車が溢れると、乗られない自転車も増えるってのもまた必然であってね、特に飽きられてしまった自転車ってのは、雨ざらしで放置されていたりするんだね。アルミの錆は、鉄のそれより性質が悪いからね。腐食が酷いとかね。中古を取り扱う皆さんは、正直にね。そして安全を第一義として欲しいモノであるぞよ。



 大体、4~5万円で購入した自転車で、仮に10年というスパンで乗れたとして、車輪やサスペンション(付いていないモノは除く)、ペダル回転軸(BB)等、リニューアルすると、買ったのと同程度、若しくはそれ以上の出費が考えられる。後は持ち主の、その自転車に対する思い入れと価値観に依る所なので、フレームなんかの傷み具合と相談して決定すべきだろうな。



 以前、ジドウシャ関連の本で、ジドウシャ評論家の徳大寺 有恒氏が執筆した「間違いだらけのクルマ選び」なんて本が存在したよね。こりゃあ一丁、「間違いだらけの自転車選び」なんてのを、イッチョ執筆してやっか?なんて事も考えたりもするが、これがなかなか難しい。難題なんだい!って感じである。



 ま、細かい事は、また次の機会に詳しく書くとして、初めの一歩としてのスポーツ自転車をチョイスするのであれば、どのジャンルも10万円を超える自転車にする事を、強くおススメしておこう。出来ればマウンテンバイクが宜しい。10万円を超えるマウンテンバイクは良く出来ているし、使い勝手が格段に良いし、様々な用途に使える自転車たり得るし、何しろ自転車でこんな事やあんな事が出来るのか!って感激も大きいのであるよ。先ずはこの国にある、マウンテンバイクは子供っぽいってイメージを払拭する事が大事だよね。



 今流行りの「クロスバイク」というジャンル。ママチャリから乗り換えた時は、感激もヒトシオなのだ。そりゃあそうだ。たった5万円程出せば、ママチャリの重量の半分の自転車が、これまで経験した事の無い程の自転車の速度に感激するのだよね。でも、4~5万円はメーカーが頑張って出来る最低限だし、何よりも、5万円って価値と、10万円の価値ってのを比較するとさ、簡単に10万円ってのを諦められない人間の心理ってのがあってさ、例えば、自転車に乗り続けるのが嫌になったなんてぇ時、5万円だったら、何となく、まぁイイか?元は取った(?)し。なんてね。放っぽらかしたりしてね。ところが翻って10万円のシロモノであると、勿体無くてやめられないんだよねぇ。ま、あくまでも一般的な庶民感覚の10万円だからね、10万円の価値が低い人は対象外なんである。



ま、ポルシェに乗って店に横付けして、電動アシスト自転車の価格に細かい事を…なんてぇ面白い話も、時として起こったりする訳でね・・・。


本質的にはどれだけ自転車に思い入れを抱けるかどうかって問題なんだと思うぞ。



仕事を愉しむ。これ大事。





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2011年6月18日土曜日

一筋縄には、行かないねぇ…

 今年も、様々な方面にご迷惑をお掛けしながら開催の運びとなった宮古島ロードレース参加。毎年このイベントに参加するに当たり、全く、ノントラブルで事が運ぶ事が無いのは何故なのだろう。昨年は運送会社の手違いで先に送った自転車がレース開催日に、現地に届かず、急遽代わりの自転車を人力で輪行したり、参加メンバーが落車骨折したり…今年は参加予定だったスタッフが急性の盲腸になったりと…何だかヤだなぁ。



 ま、そんな話はどうでもイイ。なんとなくだが、今回は自転車と云う乗り物の存在価値って云うか…ま、そんなに大げさな事ではなかろうが、そんな話だ。



 自転車って乗り物はさ、日本では本っ当にフレンドリーな乗り物だが、圧倒的に興味の無い乗り物の一つなのだろうと感じているんだ。日本固有種の自転車ね。でも、何故、ブリヂストンという会社が、ある意味儲からず、面倒な自転車部門を経営し続けるのか?なんて疑問を、私なりに考察してみようと思う。



 さて、ブリヂストンサイクルという自転車の会社は、ブリヂストンタイヤとは別会社である。タイヤにおけるシェアは、世界規模であり、世界基準の一つにもなっていて、高級外国自動車や、F1といったモータースポーツやオートバイ、トラック関連の巨大タイヤメーカーだ。…でも、何故か自転車のタイヤは作っていない。



 ブリヂストンサイクルは、巨大なブリヂストングループの会社ではあるが、タイヤとは全くの別会社であるんだね。日本の自転車事情ってのは世界的に見ても、かなり稀な仕組みを持っていてね、何しろ日本国内のみで使用される、いわば、門外不出品なんだよね。ま、世界のどのマーケットに持って行っても、全く相手にされない、類い稀な自転車、それが日本式婦人車・軽快車なるモノなのだね。



 では何故、ブリヂストンを始め、日本の自転車メーカー各社は、所謂「日本式自転車」の製造販売に固執するのであろうか?1970年代の高度経済成長から始まった日本の経済成長、それ以前は自転車も高額で、一般の庶民が自転車を購入するという感覚が無かったんである。で、そんな高度経済成長期に冷蔵庫や洗濯機、テレビ等々、豊かさの象徴として一般市民が手に入れる様になったんだね。自転車ってモンも、当時、一部のマニア向け商品は存在していたが、より生活に密着した乗り物ってのを、どのメーカーも生産し続け、庶民的な万人向けの商品開発が成されていったのだ。最大の落とし穴に気付いていながら…



 最大の落とし穴とは、その頃に時限立法だった筈の、自転車を歩道に追いやり、歩行者を危険にさらしながら、ジドウシャ優先の道路インフラを政策として、40年も経過した現在も、こんな状況が続いているって事がおかしな話でね、そんな歩道走行車というお題目を原点に、自転車を作る羽目になったのは、残念でならないと思うのだ。これらの自転車の誕生により、日本の自転車は、長距離移動と云う名の翼をもがれてしまったのであるよ。自転車メーカーの目論みも見え隠れするんだね。



 自転車メーカーと、その親会社、例えばブリヂストンが、自転車関連事業を継続させる理由の一つに、人が一番最初に接触するであろう乗り物は、自転車であろう、そして人生の終わり間際までブリヂストンの製品が使われる事になると想定されているそうである。



3輪車や、補助付き幼児自転車の、幼児用遊具から→少年少女用自転車→通学用軽快車→スポーツ自転車→オートバイ→ジドウシャ→ゴルフ道具→寝具→電動アシスト自転車→セニアカー→等々…



順序や、用、不用、ある無しの事柄は人それぞれだろうが、その一つ一つに係わろうって考え方なのだそうだ。おそらくパナソニックも電気産業であるが、自転車に関する事で云うと、それに近いモノが有るのだろうね。



先日、お店に、パナソニックサイクルテックの、電動アシスト自転車の子供2名同時同乗自転車が発売された。初回入荷自転車は直ぐに売れてしまい、新型であるリアチャイルドシートがオプショナルなのだが、本当に安全という事に過剰なほど配慮がなされている。巨大メーカーが、それこそ責任を負うって事は、モノづくりの上では、至極当然の話なのであろうよ。



ジドウシャの世界もそうだと思うが、現在の自動車販売の主流は、その殆どがミニバンと呼ばれるスタイルのジドウシャであるのだそうだ。ワンボックスやステーションワゴンといった形の違いこそあれ、殆ど外見などの見分けが付き難くなっている様に思えるんだ。昔のジドウシャはもう少し個性的であったと思うし、スポーツカー的ジャンルが確かにあった筈なんだが…。



この現象は、日本の自転車を、ママチャリ一辺倒にしてしまった状況に酷似している様に思えてならないんだ。没個性、銀色が多くて、メーカーが何処だかは、見た目だけでは解らないってね。



可能な限りの安全性、メーカーの配慮による所が多いんだが、カタログなんかはね、もうゴチャゴチャと細かく書き綴って、かえって解りにくくしているなんてぇ事も少なからずあるね。例えば、メーカーオプションでほぼ同一車種なのに、片方にはカゴが付くのに、片方には不可としていたり…。



自転車って乗り物はね、乗り手の技術や考え方ってのが、とても大切な自己責任を以てして操作し得る乗り物でね、この辺りがハイレベルな乗り物なんだと認識しているんだが、残念ながら、現状の日本の自転車事情はね、言葉は悪いが、「キ○ガイに刃物」ってのも乱暴な云い回しだが、そう表現せざるを得ない程の自転車への認識なんである。



ただ、本当に、少しづつではあるが、変化しつつある。千葉市で公募した、自転車レーン設置に対する事前実走調査ってのにも応募してみた。案内を送るって返信が来たので、参加出来たら、色々な角度から提言をしてみたいと思う。どれだけ反映されるのかは、定かではないが…。



すまん、最近、文章がまとまらないのだ。





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2011年6月5日日曜日

忌野清志郎という男

忌野清志郎という男




俺達の青春時代、なんて書く事も気が引けるほどの、だが、確実にあった時代に、忌野清志郎率いるRCサクセションというバンドが、確かに存在した。ま、若き頃、ロックって奴ぁ、大体が反体制的セリフとエネルギーでもって、表現をしていたんでさ、いろんなイデオロギーが錯綜して、破壊的なものや、平和主義とかね、実に様々なバンドが存在し、思い思いに音をかき鳴らしていた時代って感じ。



初期のRCは、バリバリのフォークバンドでね、何しろ弟が熱狂的に聴いていたから、最初はヘンテコなバンドのうちの一つだなぁ、なんて、遠巻きに見ていた位の存在だったんだがね、清志郎は当時珍しかった化粧をしてね、ビジュアルと、あの例の、特徴のある声だ。若い頃は国立に住んでいたなんて事でね、多摩蘭坂なんてぇ、子供の頃からお馴染みの坂の名前が、歌詞に出て来たりしてさ。何しろ弟のラジカセからは、RCの曲が鳴り響いていたんだよ。だから殆どの曲を知っているって感じであったよね。



やはりガンガンのロックバンドってイメージだったRCサクセションの、初期のレコードをある時、聴いて、衝撃を受けたかな。高校時代なんて、スカシて洋楽のロックや、ジャズ、フュージョンなんてのを好んで聴いていてさ、あまり邦楽のロックや歌謡曲ってのを聴かなかったんだな。ただ、大学へ行ってね、憂歌団という浪速のブルースバンドにヤラレたね。完全にヤラレた。憂歌団は全部聴いたし、買ったし、国立のリバプールっていうライブハウス、俺達がバンドの真似事をしている様な酷い有様の、バンドなんて云えないヤツ等にも貸してくれる様なライブハウスでさ、憂歌団のライブなんかやっていたんだよ。勿論、大きなホールでもやっていて、いろいろ云ったけど、ヴォーカルの木村さんが、ストレートのバーボンをキューッってやりながら唄っていたシーンは未だに印象深いのだよ。若い頃に、オヤジっぽい所作だよな。格好イイオヤジになりたかったガキだったのだろう。そんな頃かな。初期のRCにグッと来たのはね。



上田正樹なんか、歌謡曲っぽくヒットした曲なんて全然聴かなかったのに、誰も知らない上田正樹と有山淳司とかのセッションユニットは好きで聴いていた。とっても素敵なブルースである。



以来、忌野清志郎って人が大好きなんだがね、今回は、この忌野清志郎って人、特にこのネーミングにスポットを当てて見ようと思うんだ。



以前、忌野清志郎が、テレビに出た時に、名前の由来ってのを尋ねられてさ、清志郎はシャイだから、あまり多くは語らないんだけど、子供の頃見ていたマイティーハーキュリーってアメリカのアニメ番組でね、日本語でナレーションが当ててあってさ、ハーキュリーの敵役の鉄仮面の登場の際、



「あの忌々しい鉄仮面が登場しました!」



って件が格好良かったんで・・・って云っていた事があって、そうなっているのだそうだが、本当は違うと感じているので、身勝手な持論を展開してみようと思う。



忌野清志郎って名前。今でこそ全国区であるが、当時の、世の中の反応は、当然の事ながら、宜しくは思われていませんでしたぜ。当然だがね。何しろ、今際の際にってヤツだ。死に際とか、臨終とかの意味でね忌み嫌うとか、人の死後、親近者が暫くの間家に慎みこもる事などを意味する字である。

因みに本名は栗原清志である。



この「忌」という字であるが、大辞泉によると・・・

1 (忌む)呪術的な信仰などから、不吉なものとして避ける。禁忌とする。

「葬式は友引の日を―・む」「宗教上、肉食を―・む」

嫌って、避ける。「革新を―・む」「退屈を―・む」



2 (斎む)身を清め、慎んでけがれを避ける。



嫌われがちな代表とも云える文字なのだがね、この忌ってヤツは実に奥が深いと思うんだ。人の死ってのを表すと云っても良い程の字である「忌」、さて、人が死ぬって事は、その人生をお仕舞いにするって事で、全ての人に平等に訪れる現実。この「忌」って字を分解すると、己の心なんだよね。そう。人間ってさ、生きて行くうちに、様々な社会のシガラミなんかでさ、所謂「ヨゴレ」な人間になって行く訳でさ、この忌まわしいなんて言葉ってのは、その言葉を使う人間の心の汚さってのを、表現しているんだと思うんだよ。葬式なんかでね、故人を偲ぶって事で、忌ってのは、なるほど妙に合点が行くではないか。己の汚れた心を浄化し、浄土へと手向ける儀式である葬式。身を清め、謹んでけがれを避ける、なんてある様に、人にとって大切な事柄を表しているんだよね。

この人間の生業を歌にロックに伝え、人々にメッセージを送る人間としての「忌」である。



次に「野」って字である。大辞泉によると・・・

1 自然のままの広い平らな地。のはら。「―に咲く花」「―にも山にも若葉が茂る」

2 広々とした田畑。のら。「朝早くから―に出て働く」

3 動植物を表す名詞の上に付いて、そのものが野生のものであることを表す。「―うさぎ」「―ばら」

4 人を表す名詞の上に付いて、粗野であるという意で卑しめる気持ちを表す。「―幇間(だいこ)」「―育ち」



どうだい?野ってのはさ、地球って事だよね。自然のままの広い平らな地って有るがね、ま、人類の多くが安住の地とすべく移動した「野」である。そのものが野性のモノってのも興味深いよね。



忌野ってのは、地球上の人類にメッセージを伝えに来たメッセンジャーである。なんて思っている。



清志郎、本名が清志だからね、清志郎ってのでは、あまりにも短絡的過ぎるよね。で、此処でもやはり持論を展開する事としよう。



清いってのはもう読んで字の如しである。大辞泉によると・・・



1 よごれ・にごり・くもりなどがなく美しい。「谷川の―・い流れ」「月が―・く澄み渡る」

2 心に不純なところがない。清廉潔白である。「―・い関係」「―・き一票」

3 態度がきっぱりしていさぎよい。思いきりがよい。「―・く別れる」

4 (「聖い」とも書く)おかしがたい雰囲気である。神聖である。「―・しこの夜」



と云った所で、やはり淀みの無い、なんてのがそうだね。そして「志」。



1 ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。

「―を遂げる」「事、―と異なる」「―を同じくする」「青雲の―を抱く」

心の持ち方。信念。志操。「―を高く保つ」

2 相手のためを思う気持ち。厚意。「―を無にする」「お―はありがたいが、辞退します」

3 謝意や好意などを表すために贈る金品。「ほんの―ですが、御笑納ください」

香典返しや法事の引き出物、僧への布施の包みの表に書く語。→寸志

4 心を集中すること。注意。

5 相手を慕う気持ち。愛情。

6 死者の追善供養。

そして「郎」という字である。



1 男子。特に、年若い男子。若者。

2 女性から夫、または情夫をさしていう語。郎君。

3 中国の官名。侍郎・尚書郎などの総称。

[接尾]数を表す語、またはそれに準じる語に付く。



1 一族あるいは一家の中で、男の子の生まれた順序に従い、男子の名前をつくる。「一―」「次―」

2 男女の別なく、子供の生まれた順序を示す語として用いる。



さて、清く正しく生まれ志に於いて、人の為を思う、郎であるから男だよね。ふむ。人が生きて行く上で必ず訪れる「死」という現象、そこへ到達するまでの過程を、如実に表した唯一無二の名前、それが…



忌野清志郎 という名前の持つ意味だと、甚だ勝手乍ら、解釈致しました。



この人の歌には、愛が溢れているんだ。



同じ時代に生きられた偶然に、感謝をしているぞ。



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