2011年5月22日日曜日

心のデトックス

 自轉車家…いやいや、自転車屋さんってのはさ、通常の人々のお休みにあたる、土日祭日が忙しい。当たり前なんだが、そうなんである。だから、自転車が好きで、乗る機会を増やしたいなぁ、なんて思ってはいるモノの、朝夕の通勤時間以外、自転車に乗る暇が無いのが、慣例である。



休めても大概平日のローテーションで、しかも店自体は営業したりしているから、なかなか平日休みで、自転車好きな筈のスタッフ同士で出掛けるといった事もままならないのが現状なんであるよね。



 自転車屋さんが、置かれている環境ってのが、俄かに変って来ていると思う。以前にも書いた記憶が有るんだが、自転車屋さんが、自転車を売っているだけの、云わば普遍的な当たり前って事でまかり通って来た時代があったってのも、一方での事実。ロードレース関連の自転車イベントに参加するってのも然りだし、確固たる目標であっても、それは良かろう。ただ、扱う自転車は、何もロードレースばかりでは無い。クロスバイクなり、マウンテンバイクだってある。



そりゃあ、全部に答えるってのも大変であるよ。だけど、一年をいくつかに分けて、年に1度位、お客さんの為に、土日に店を休んで、大いに遊ぼう、なんてのも出来たら素晴らしいではないか。



 で、お店が全店的に臨時休業となる5月18日、そんなイベント開催の、大いなる下見をしに行こうって話がまことしやかに推し進められ、これも、参加者たったの3名ではあったのだが、バーベキュー場やコテージも併設されていて、自転車的には関係無いが、何とディスクゴルフコース(フリスビーを使用してプレーするゴルフ)もあって、個人的に、大いにテンションが上がった。その場所とは・・・

 埼玉県青少年総合野外活動センターMTBコース。県の施設だから、何ともショッパイ雰囲気たっぷりのネーミングだが、ショッパイのはネーミングのみで、流石は県営の自然の森、良く整備をされているのだ。駐車場にバンを止め、少し下って受付のある総合センターへ。…そうは云っても、相当クルマで登って来た感は有る。狭い道をズンズンとね。らしおテンションマックスで、チョッとウザい。



「すいませーん。マウンテンバイクやりにきたんですが。」



なんてね、ベタに声掛けたりしてさ、受付を済ませ、利用料を聞いてビックリ!



「おひとり様、50円です。」



だってよ。思わず、



「お!俺様が奢ってやる!ぶはは!」



って云っちゃったもの。



 で、コースのレクチャーを係のお姉さんが、親切に教えてくれた。初級コースと上級コース、上級は何やらアップダウンが激しいんだそうだ。不安そうな今回参加者の紅一点SZYさんが不安げな表情。マウンテンコース走行は初めてと云う。大丈夫大丈夫。と、一番説得力の無い俺様と二番目に説得力の無いらしおが連呼する。SZYさん、更に不安げ。




ともあれ、早速コースに出発である。親切に要所要所にコース立て看板があり、チョッとした広場的なコースに、足慣らし的アップダウンコースを作ってあり、そこでも結構面白い。実際SZYさん、下って登っての変速が間に合わず、登れず足を着いて、そのまま後ろに倒れ込んじゃった。



「ああ、難しい。無理かも。」SZYさん。



「大丈夫大丈夫大丈夫。わははは。」と2人。テンションマックス。2人。ウザい。2人。





その広場含め、初級2km、上級2.5kmの周回コース。そんなに構えず、だが、山間に絶妙なコース設定なので、かなり面白い。一週目で無理っぽいって弱気だったSZYさんも、コースの全体像を把握出来るや否や、マウンテン初心者とは思えぬ下りのスピードである。らしお曰く、自転車部の新人の男の子がビビって普通行けないってのが殆どだけど、SZYさん凄ぇや。だそうである。SZYさんの運動神経とか、反射神経とかが、素晴らしいのだろうね。らしおは流石に綺麗に乗るね。持ち込んだのはスペインのオルベア社のMTB、XC仕様である。超軽量だ。SZYさんはルイガノのXC仕様車。俺様はデブだから、ノルコの…何用だ?こりゃ?デブ用か?ま、無茶しても壊れそうもない仕様ってヤツかな?



何本か走って、息も絶え絶え、なんて所で少し早目の昼食タイムである。そこで自分のノルコの異変に気付く。





「ぅお?リアハブがガッタガタやん!?だっせぇ!」



そう云えば、ノルコ組んだ時、大体はそうなるのだが、278の、お店在庫の部品優先で組むから、有るモノ出たとこ勝負なんだね。で、XTRハブと、シマノ安ハブとがあってね、XTRは高いから、シマノの安ハブ(デオーレですら無い)にしたんだ。フロントはXTの20mmスルーアクスル仕様だから、当たり前だが、びくともしない。ハブコーンレンチも無いから、そのままガンガン走る事にした。壊れたら編み変えようっと。ってなモンである。



そこでテンションが少し落ちた俺様であるが、やっぱりモノの価値ってのはこんな所に如実に出るんである。そりゃあそうだよなぁ。ただ、ヨースケに譲って貰った、ストロークの長いマルゾッキの重たいサスペンションと相俟って、下り系は凄く調子がイイ自転車だって事を再認識出来た事は収穫である。…登りは向いていないがね。マッタク向いていない。…イインダヨ、どうせ坂道は、おっぺしゃあイイんだから。



昼食後、SZYさんは少し休憩で、クルマに残り、らしおと俺様は再びコースへ。上級コース立て続けに2周したら、流石に足に来た。らしおも来たってから、結構なコースなんだろうな。で、SZYさんを交え、更にコースを走る。走る。走る。



たっぷりと心と体をデトックスして、リフレッシュ。でも体中汗みどろ。件の山を下ると、受付のお姉さん推薦の(?)武甲温泉へ。残念ながら混浴では無かったが、なかなか良い泉質で、満足満足。風呂を上がって、ビールを呑んでいる人々を、本っ当に羨ましく思いつつ、一路千葉へ。行きも帰りも運転手だ。だって俺様が運転した方が一番安全だろ?らしおはらしおだし、SZYは女性だし…俺様、何故か女性にジドウシャを運転させて、横に乗ったりするのがあまり好きではないのだ。昔から。ま、昔は職業運転手、昔取った杵柄で、それもよかろう。



皆で、沖縄料理を食おうと思い店を回るも、一件は一杯で入れず、一件はいつの間にかつぶれていて無いし…仕方が無いから、近所の、最近うどん屋だった所が、蕎麦屋と居酒屋も同居した様な店に落ち付き、せっかくだから、誰かに自慢話をしようと、暇そうな人に連絡しその中、今回のマウンテンに行きたがっていたが、平日で普通に行けなかったおしょうを呼びよせ、たっぷりと自慢話をして帰る。おしょう、ありがとう。



翌日、出勤し、少し空いた時間を見計らい、リアハブをOH。玉押しもベアリングも無事で、まだ使えそうだ。ただ、シマノのグリスがデロデロだったから、スーパーグリースでグリスアップして、素晴らしい回転になったから、ホイールの振れ取って、センターを出して、また使う事にした。





満腹満腹。よし、皆で行ける企画をしよう。キャンプOK、BBQ OK。



お店でこれを企画、実行して行く事が、今後は大切なんだと思う。山を走ってナンボのマウンテンバイクである。



どうだい?愉しそうだろう?







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2011年5月11日水曜日

文明の発展と 英知の集結 そして自然現象

云うまでも無く、我々は地球上に動物の一種として生活をしている。高度な文明と、経済成長…ほんの僅か百~数百年前までは、丁髷結って、刀で人を斬り合っていた民族なのにね。太古の昔から、人は自然現象と共に生きて来た。共生である。経験者の知恵や言い伝えを知り、月日が経って、それを知らない大勢も、その地に住むようになったりする。



文明の発展と共に、更なる安楽を求め、より良い環境を求めて、地球環境的には悪いとする事も、人は推し進めてしまいがちである。人はサボろうとする動物だからね。人は、速く、楽に移動出来るように、130年程前に自転車とジドウシャを発明した。以来、ジドウシャ産業の発展は凄まじい勢いで急成長したよね。今や世界が認めるHONDAのジドウシャ、実は第二次世界大戦後に2ストロークエンジンを自転車に取り付けるエンジン屋さんだったんだよね。1951年にホンダのドリームE型、OHVの4ストロークエンジン付きオートバイが出現するまで、箱根をノンストップで越えられる日本製のオートバイは存在しないって、信じられない時代が、ついこの間の事である。今、そんなエンジンを探す方が難しいよね。



俺様が18歳の時、初めて乗った4トン車は、当然だがエアコンはおろか、クーラーすら付いておらず、パワステさえ付いていなかったんで、巨大なハンドルをウチ掛けしたって、スエ切り(トラックが止まった状態でハンドルを切る行為)なんざぁ、至難の業だった。汗を滝の様に流して仕事をするのが当たり前だと思っていた。快適なんてのは、乗用車にこそ必要なモンだと信じて疑わなかった。



技術革新は有り難い。でも、自転車という乗り物は、ジドウシャ程の、劇的な変化は生じていない。ハナっから完成度が高かったと評すべきだろうな。本当は凄まじい変貌っぷりなんだけれど、あまりそうは感じさせない完成度って云えば…伝わらないか。ま、自転車に対する思い入れも大きいが、オートバイや、ジドウシャの黎明期を成長の糧として生きて来た世代としては、やっぱりエンジン動力の乗り物にも、興味は尽きないんだと思うね。





今回の地震による、福島の原発事故を発端に、エネルギーの見直しって事が、様々な方面から議題にのぼっているね。豊かさってのを、贅沢に無駄遣いする事が正義であるかの様に、大量に消費する時代は終わりにしなければならないね。ただ、原発を造って電気を使い、結果大勢の犠牲者が出ましたから、では原発そのものを見直しって方向性は、難しいんだと思う。だってね、ジドウシャをはじめとするモータリゼーションだってね、多くの犠牲の上に立っていて、これ以上犠牲者を出したくないからって云って、ジドウシャを全廃するって事は、ナンセンスだろ?その位、シュールでナーバスな問題何だと思うぞ、原発は。



電気関連事業者、特に電力を消費して動く機械を作っている全てのメーカーは、電気を作る側のメーカーにもにもなると云う、努力が必要だろうね。木を切る業者が、後世の為、植林をするとか、ね。



原子力発電に対しても、多くの賛否が飛び交っているんだが、日本のメディアは、福島原発の取材や映像を撮影しに行こうともしない。何故だろう?意味の無いキャスターが、何の意味も無く、もう安全が確保された被災地に赴き、「大丈夫ですか?」なんて物見遊山しているのに、NHKですら、原発を取材しない。現場作業員の被ばく検査も、やらなくなった。これら全ての実態が、福島の現状が危険な状態にあるって証拠だろうな。原発の廃棄物も、日本はおろか、世界中に於いても、処理する場所が無い。正直、原発に頼らざるを得ない日本の現状や、代替のエネルギーが喫緊には準備できないという事実があるんだろうが、万が一の危険性を無視した安全神話は、絵に描いた餅でしか無く、今回その万が一ってヤツが、起ってしまったんだね。安全だとしている原発が、災害にあってしまうと、人間が制御不能に陥る。長期間の土壌や、海、大気汚染が長期間に渡り、汚染され、使用不能となる。



人間は神では無い。

奢ってはいけない。

文明の立役者なるは、地球との共存。自然の営みの大きさに、人は成す術は無い。知恵と経験で、それらを回避するってのがせいぜいだよね。



今回の東電の賠償金も、甚大な額となりそうで、東電は政府に支援要請をしたね。政府ってのは、結局の所、国民負担なんだよね。いくつかの隣国は、災害で疲弊した日本で、新しいシェアを我が物にしようと企てる、ハイエナの様な考えを持った輩が虎視眈々と狙っている。



政治家が、そういった不届き者達の防波堤にならなければ、本当に日本は蛻の殻になってしまうよ。





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2011年5月7日土曜日

昭和の時代とは、如何なる時代で有ったのだろうか?

私が生まれた昭和39年という年は、東京オリンピックに湧き、東海道新幹線が開業したり、首都高速道路などが造られたりと、経済が発展し始め、日本国という、新しい国をね、世界にその名を轟かせようと躍起になっていた頃なんである。私は個人的に戦争なんて凄く遠い現代人なんだなぁ、なんて、漠然と想って生きて来たんだが、良く良く考えて見るとさ、第二次世界大戦の終戦が昭和20年。それからたった19年しか経っていないって訳であるね。



そんな私の父は昭和10年の早生まれで、生きていればもう幾つになるんだろうねぇ…そんな父は終戦を満州で迎え、暫く捕虜として駐留された後、どさくさで帰ってきたんだそうだ。何しろ、満州はさ、当時の大日本帝國時代の、ユートピアだって云われていてさ、軍人さんだった爺ちゃんは、日本の田畑を叩き売ってさ、有り金叩いて満州に土地買って商売したりしてたらしい。



で、終戦後、知り合いって知り合いを辿って、這う這うの体で辿りついた、立川という僻地。昭和飛行機とかね、軍事施設があった場所でさ、もうその立川町(現在の東京都立川市)の殆どが米軍立川基地として占領されていた。近隣の米軍横田基地は現在でも米軍の主要施設であるよね。そんな米軍基地の周りにさ、雨後の筍の如く出来るバーやクラブ(?)。所謂、米軍の軍人さん向けの店ってヤツだ。赤線、青線ってヤツだな。そんな素敵な環境下に、逞しく父親は悪徳商売に徹していた。



米軍の、将校さんと親しくなってさ、平和になった世の中で毎晩ダンスパーティーをやっているアメリカ人相手にさ、アメリカ人目当ての婦女子をマツダのオート三輪に大量に積載し、夜な夜な米軍基地の会場へ運び、その見返りにさ、当時とんでもない価格だったウイスキーをさ、戴くって寸法だったらしい。いや、正確には、ウイスキー等の洋酒は、当時軍の支給品でね、軍人さんの中には当然下戸の人もいる訳でさ、結構な数があぶれるって寸法でね、そいつを件の婦女子を満載して来たオート三輪に、またまた満載して帰ると云うね。



で、当然出入りには警備兵が立っていて、当然だがそう云った軍のモノは一切外部に持ち出し禁止だからね、普通ならお咎め頂戴なんだけれど、将校さんの口利きでさ、スルーパスだったと云う。で、米軍様から頂戴した高級洋酒をさ、赤線のバーと云うバーに卸すって寸法。わはは。悪党過ぎる。当然、地元の職業不良に目を付けられるんだが、バック米軍だから、強いんだ。本人も空手三段で、ボクシング4回戦ボーイで、何だか喧嘩が滅法強かったんだな。



ある日、何時もの様にね、荷台に婦女子を満載にしたトラックで悠然と米軍基地内に潜入に成功した我が父上殿であったが、はて?いつもと様子が違うと。将校さん不在であったんだ。まぁいいやってんで、いつもの洋酒をゴッソリとトラックに積み御帰還の筈が…その日は出口の憲兵に捕まった。父上は英語が全く話せないが、この酒はどうしたって血相を変えている憲兵と、応援を要請している様を見て危険を察知、2人の憲兵を電光石火の早業でノックアウトしてさ、とっととずらかった訳だ。悪い事に、その憲兵さんのはめていた腕時計まで失敬してしまったのだ。で、いつもの様に赤線でウイスキーを捌き、帰路についた。



翌日、大勢のMPがお父上のヤサを、完全武装で包囲し、敢え無く、父上殿は御用となったのでした。わはは。悪いヤツなのだ。…撃たれなくて良かったなぁ、おい。

何とも破天荒で、ハチャメチャな人生だったんではないかね?彼は。大体、あまり家にいた事が無かったね。親父殿の所作は褒めるべくもないが、みんな必死に生きようとしていたんだと思う。





ま、そんなロクデナシの息子だ。出来がイイ訳ゃあるまいが、そんな父上も、私が御歳19才の時に突然御臨終だ。享年48歳。私も今年、47歳になろうとしている。来年には親父の死んだ年だ。感慨深いってのも、何だかもう、忘却の彼方でさ、自分が生きるのに必死で足掻いている昨今なんであるよ。



2011年3月11日、東北地方を中心に、大地震が起こり、甚大な津波の被害が出、富の象徴で有るかのような、原子力発電所も事故が起こった。民主党がとうとう政権を奪取したのだが、完全にブタを引いた格好になり、保守自民党は民主党と手を組まず、震災復興に当たっては閣外協力なんて寝ぼけた事を云っているが、菅さんをはじめ、民主党の体たらくには言葉も無い。



民間人が、あの手この手でボアランティアを開始している。不眠不休で働き、復興支援を下支えする人も沢山いる。豊かさのシンボルとして、大量の電力を消費していた現代日本が、少しだけ、自然災害によって、これではいけないと、気付き出した。みんなが節電している。が、十分ではないか。クリスマスに、競う様に灯していた…いや、ギンギラギンにデコレーションしてさ、電飾満載のデコトラ宜しく、家中をビカビカさせていた日本。一体何の為?ま、それも収まるだろう。



そして此処に来ての、静岡、浜岡原発の運転停止要請。これについては大英断であろう。エネルギーの有効利用という言葉の意味は、なにも湯水のように使いまくっても良いって事では無いのだな。湯水だって大切に使わなければならないんだよ。



モノがあり余っている時代、使い捨てが常識となっている世の中ではあるが、大きなきっかけ、全ての人々が、何を、どうすべきかを再考、熟考するきっかけにもなった、大災害である。





昭和の時代、質素だが、暖かい家族の団欒が確かにあった様に、そんな小さな仕合せを大切に出来る事が、肝要であるよね。一億総中流、なんて揶揄された日本の生活基準。でも、そいつはあながち間違っちゃあいない。





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