2010年10月21日木曜日

秋深し、もうすぐ其処に、クリスマス…と、お正月!?

 あぁ、ハロウィン飛ばした。字余りである。…どうでもイイか。秋が来て、やがて冬になって、なんてね、だんだん日没時間も早くなりつつあるこの頃に、季節感を感じている俺様であります。



 さて、そんな夜長の季節はさ、自転車のライトが大切になって来るんだね。これまでにも、当然ながらウチの店にもさ、沢山のライト類が並べてあってね、それぞれに特徴があって、最近のは特に、LED発光ダイオードを使用してさ、明るかったり、省エネだったり、なかなかのパフォーマンスを発揮してくれるのである。



が、しか~し!俺様は、そんなちっぽけな明るさには満足出来ないのだ。そりゃあ、銭を出せばさ、3Wだの、10Wだのってね、充電式の、すこぶる明るいライトは、在るにはある。だが、高価である。出来ればあの、デカイ電池を入れて、しかも何だか馬鹿明るい、マグライトみたいなのを取り付けたいんだ。オッサンになって、視力は悪くは無ぇんだが、少々鳥目な俺様、重くたって、安全第一なんである。



昔、ブリヂストンなんかでもさ、ハブ軸にぶら下げて、懐中電灯を取り付ける、「やじろべぇ」なんて商品が販売されていたんだよねぇ。あれ、持っているんだが、すんごくイイ。だが、昔のショッパイ懐中電灯だから、雰囲気は最高なんだが、暗過ぎるんだ。灯いていないが如し、なんである。


マグライトなんざ、以前、ハロゲンランプを使っていて、それこそ明るかったが、現行のね、LED仕様のソレは、もう感動的に明るいんだ。



そんなマグライト純正LED、ノーマルを手中にしたんだが、流石に長尺でさ、自転車のハブ軸にはどうかと思っていたんだよね。何たってBd-1ホイールの直径より長い。長ぇよ!って話だ。そんな時、ひょんな事から、大阪に行ってしまった知人から、マグライトをLEDに改造して、すこぶる明るいライトってのを、餞別に戴いた。長さも単1電池3本分と、まぁまぁな短尺っぷりである。しかし、流石は単1電池のLED仕様で、明るさはすんごい。問題はどう取り付けるか?である。

                                           ↑やじろべぇとの比較

                ↑取付具合

                ↑・・・デカイね。


 先日の休みに、早速でっかいホームセンターへ出動。ホースバンドクリップでも応用しようかなぁ、なんて物色していたら、何と、水道管のクランプに使えそうな代物が…。おぉ、これだ!後は簡単、コの字クランクのステーを探し、取り付け完了。おお!デカイ。明るい。いいぞ!ホームセンター。



 自転車のモンってのは、何かとコンパクトで、軽量に出来ていて、チョッと便利だなって程度の商品が多いんだ。ライトなんかさ、どれも街中では十分なんだろうが(自分が照らして確認出来る、では無く、自身を認識して貰う為の灯火)、やはり前照灯としては、頼り無いんだ。だから作ったんだな。ブラケット。





 あの経営の神様と称され、敬われた松下電器産業(現パナソニック)の創始者、松下幸之助さんも、電気屋さんのイメージがとても強いんだがね、実は齢9歳にして、五代自転車という所に丁稚奉公をしていてね、自転車の前照灯を整備しながら、自転車と、電気の必要性を痛感し、後に両者共、日本を代表する会社の根幹となった事は、あまり知られていない事かもしれないね。一般車を買いに来る多くの人は(特に関東圏では顕著だろう)、



「パナソニックって、最近は自転車も作っているの?」

                                                                 

なんて聞かれる事が、少なくないんだよ。

パナソニックの企業情報にも、こんな事が書かれている。

以下抜粋。



砲弾型電池ランプを考案 1923年(大正12年)



製品考案の面でも、このころ画期的な商品が完成した。砲弾型電池ランプである。

かつて自転車店に勤めていた所主は、自転車の灯火が風ですぐ消えて困った体験をもっていたが、いまだになおローソクや石油ランプが使われているという状況だった。電池式ランプもあったが、寿命は3時間ほどで、故障も多く、実用性に乏しい。そこで考案に熱心な所主は、この電池ランプの工夫を思い立った。

それから半年の間、数10個の試作品をつくった末に、従来品に比し、約10倍の30時間から40時間も点灯し続ける砲弾型電池ランプをつくった。

しかし、この画期的な製品をどこの問屋も取り扱ってくれない。窮した末に、直接小売店に無償で置いて回り、実際に点灯試験をした上で、結果が良ければ買ってもらうことにした。そのために、所主は「1万個もバラまけば、反響はあるだろう」と覚悟した。これは、当時の金で1万5、6,000円余りになる。これがだめなら工場はつぶれるという画期的な売り出しである。

この社運をかけた実物宣伝が効を奏し、その真価を知った小売店から次々と追加注文が入って、2、3カ月後には月2,000個も売れるようになった。





松下電器と自転車業界との関係は、大正12年発売の砲弾型電池ランプに始まる。その後、角型ランプを発売するなど、松下電器の草創期は自転車用品によって築かれたのであり、自転車業界はいわば松下電器の故郷ともいえる業界である。しかし、太平洋戦争のために、民需生産の中止を余儀なくされ、輪界との関係もとだえた。

戦後、この輪界に多数のメーカーが乱立、価格競争が激化した。薄利のために、経営的に不安定な状態が続き、倒産する業者も少なくなかった。輪界に強い関心を抱いていた社長は、こうした事態が進行することを憂慮した。たまたま、このとき「ナショナル」という自転車の商標をもっていた東京部品工業から、その商標を譲渡するとの話がもたらされた。社長は業界の正常な発展のために、輪界復帰を決心した。

昭和26年6月18日、「ナショナル輪栄会総会」を開催した。席上、社長は「適正価格を維持することこそ、業界に真の繁栄をもたらす基礎的条件である。松下電器は適正価格を堅持し、業界の安定勢力となり、業界の真の繁栄に貢献したい」と訴えた。





 あの、天下の松下ですら、こんなに紆余曲折な経緯がある。また、技術革新と共に、安価なママチャリの台頭という、自転車の根幹を揺るがす事態が起き、日本の悪しき文化ともなっている。



輪界は、今後、劇的に変わる資質を持っている大資本も、虎視眈々とその辺りを見据えているんだ。知恵と、アイディアってのは、活かしてこそのモノだと考える。





面白くなりそうなんである、輪界。今後が楽しみである。



…しまった。たかが夜間用ライトのブラケットを自作しただけなのに、松下幸之助さんの偉業話にまで、なってしまったぞ!?脱線も甚だしいなぁ。





「自転車家ジョーのメールマガジン」

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