御多聞に漏れず、ワタクシもオートバイに熱を上げ、日々頓珍漢族に絡まれながら峠を攻め立てているワタクシの青春時代なのだが、時は70年代後半~80年代前半、全国的にオートバイは免許を取らせない・乗らない・買わない、なんてぇ「3ナイ運動」なんてのを、全国的に、殆どの学校でブーム(?)となっていて、何しろオートバイに乗る奴と、バンドを組んでロックをやると「不良」ってレッテルを貼られた、何とも破廉恥な時代である。何なんだよ、「エレキギター禁止」って・・・。スティーヴィー・レイボーンや、ジミ・ヘンドリックスとか、何しろギターの神様に謝ってくれよ、もう。
と、そんな歪んだ時代に青春を送っていたJoe青年。その時代に中型の免許を取る為、中学三年間を終了し、高校へ行く前の春休み、引越しの助手のアルバイトをした。当時の西武運輸である。日給5000円。中学生には大金である。仕事はキツかったが、体力には自信があった若者Joeは、せっせと働き、教習所に行くお金を稼ぎ出したのだった。
そんな怒涛の青春時代、教習所費用を肉体労働で稼ぎ出し、やおら教習所へ勇んで通おうと思った矢先、何となく試験慣れしておこうと決意、府中刑務所…じゃ無かった、府中免許試験場へ。原動機付き自転車免許を取得しに行ったんだ。当然、筆記だけなんで、落ちる要因は何も無いんだが、その日は合格通知を貰って、後日郵送して貰う事にした。当時、即日交付ってのが出来なかったんだよ。なんつぅ昭和的?呑気さである。で、試験場にも、高校生のオートバイ免許取得は、学校に通報します。なんて貼紙がしてあったりしてね。へっバカヤローとか、びくびくしながらも思いつつ、試験官に「何処の学校だ?」なんて聞かれてさ、「あぁ?西武運輸だぁ、社会人ね、一応。」とか答えてました。ワタクシの通うおぼっちゃま学校も、当然ながら、3ナイ運動バリバリでしたからね。
で、一週間ほど経って、無事、免許が送られて来たのだが、そこまで全て親に内緒で活動していたので、内心は何時オヤジにばれるのか心配でびくびくとしていたのだが、その日はまったく唐突に訪れたんだ。
「お、おめぇ単車の免許取ったんだって?」
「いや、これから教習所に行こうかなぁ…と。」
「お?試験所、行ったんじゃ無ぇのか?」
「あ~、行ったよ、ありゃあ原付。」
「おぉ?ナニ?原付ってのぁ何だ?」
「五ン十ccのバイクが乗れる奴だ」
「カブなんか無免許で乗れんだよ。」
「…今は駄目なんだよ、お父さん。」
「おめ、俺ゃあ原付なんざ取った事は無ぇな。まぁいい、そんなチンケな免許じゃ話んなんね。」
「何それ?」
「バイク買って来たんだよ。」
当時、バイクブームもあって、そして類い稀に見る自動二輪大型免許の難関さと来たら…東大に入るより難しいとか、100人受けて1人しか受からんとか、何たってウソ八百のゴタクが打ち並べられていた時代である。中型限定免許で乗れるオートバイも花盛りであった。初期型のRZ250を100ccボアアップした、RZ350が本気で欲しかったが、流石の親父も少し上のワタクシの従兄のアンチャン連中に入れ知恵をされ、RZ350なんか乗せたら即死だとかなんとか煽られ、買って来たバイクが…
イタリアはピアッジオ社の「ヴェスパP200」。
…バイクじゃ無ぇじゃん。
「何おう?200ccだぞ?そこらのカブとは、訳が違うぞ。」
「スクーターだよ、こりゃぁ。こんなモン、格好悪くて乗れるか!」
「てめぇ、その200ccのスクーターっぽっちも乗れないくせによぉ。もういい、もっと格好良くして来てやる。」
あくる日、ヴェスパP200の左脇には、「舟」がくっ付いていました。そうです。サイドカーを付けてしまいました。
「どうだ、この野郎。格好イイだろう?100万円もしやがった。チクショウ。」
何しろ、初代の仮面舞踏会ならぬ、仮面ライダー世代であり、何たって、サイドカーを見事に操るキカイダー世代である。矢も楯もたまらず、格好良かったんである。
「おお、凄ぇ。…何だよ100万円って・・・。」
なんてね、その後、無事に中免(中型自動二輪免許の略)を取得し、そのヴェスパを乗り回すのだが、自転車もオートバイも、二輪の乗り物は、カーブを曲がる時、遠心力に逆らって曲がろうとする為、曲がる方向に車体を傾けて乗るのだが、側車付きはそれが出来ない。左に舟が付いている場合、右折は割とイケる。舟が補助輪代わりに遠心力をある程度、受け止めてくれるのだが、左折は大変である。いとも簡単に舟が浮かんでしまうのだ。舟が浮かぶのは水の上だけにして貰いたいモンである。
実はウチの親父、地元立川やその周辺で悪さばかりしていたので、面が割れているとかで、地元では決して飲まず、必ず新宿で呑んでいた。当時、住んでいたのは八王子という、山梨の手前みたいな所であるから、何しろ高速道路で八王子から車で呑みに行ってしまうんだ。よく母親が送って行っていた事もあった。その仕事がワタクシに回って来ただけの話である。オヤジは当時、110kgの巨漢で、小舟に乗り、65kg~70kg位のワタクシが運転だ。約200kgの人員に対し、ピアッジオ社のヴェスパは200ccである。超ロングストロークの分割給油式2ストローク単気筒。どうやったって70km/h程が最高速度である。おそらく世界で一番悪い環境の、おそらく一番不幸せなヴェスパだったろうなぁ。
ソロでよく高速道路の料金所のオッサンに、「原付は走れないんだよね。」と注意された。2人乗りしていても、たまに止められる始末である。ま、そんな事ぁどうでもイイ。何しろワタクシが学業が本分の身である事を一切無視し、夜中の2時3時に平気でワタクシを新宿まで呼びだし、大概店に5時頃までいて、帰るってぇ生活を余儀なくされていた。学校で居眠りをしていたのはそのせいである。
当時は単なる道具として酷使された、イタリアの可憐なスクーター、ヴェスパ。その後、ワタクシはスズキのDOHC16バルブTSCCなんてのを売りにしていた400ccを購入し、乗りまわしていたが、相変わらず側車付きヴェスパはオヤジの新宿界隈繁華街直行便として働かされ続けましたとさ。
この歳になって、ヴェスパが素敵だと思う。でも、子供が成人するまでは、オートバイには乗らないと、女房と約束したのだ。親の責任って奴である。だが、その約束には感謝している。あの時、オートバイから降りなければ、子供はいなかっただろうし、自転車にも、ここまでハマる事は無かっただろうしね。
あと7年。そろそろヴェスパを買う為の貯金でも、始めようかね?
アルファロメオも欲しいし、悩ましい限りなんである。確実に、間違いなく、あのオヤジの血を引いているに違いない、マイッタ感覚なのであるよ。
困ったモンだの、不良中年ラプソディーなんである。
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