2010年3月29日月曜日

様々な「当たり前」を考えて見る。

 当たり前の事って何だろう?なんてふと思うんだ。世の中まったく不景気の真っただ中であるよね。で、企業と呼ばれるあらゆる会社は、経費削減に奔走する。道理であろうね。今の時期に投資をしようなんてぇ経営者はなかなか現れない。で、景気も停滞するんだ。民主党の政策もまさにこの経費削減政策をそのまんま実行している。間抜けな集団だ。経費削減、大事な事であろうよ。でも、少し考えて欲しい。経済ってのは、生産性があってナンボの世界である。経費削減や経費縮小ってのを、住んでいる家に置き換えて見よう。



 先ず、住んでいる家に大黒柱が有るとする。で、ガス代や燃料費がかさむからと、外で薪を買う事を控え、その代わりに大黒柱を削って暖をとったり、メシを炊いたりするとする。暫くは良かろうが、その家はいずれ大黒柱を失い、崩壊するよね。誰が考えても解る事だが、こと経営に関しては、愚かな経営者ほど、こいつを励行する。もう次の一手を考える余裕すら無くなっているから、今食える方法って奴を強行するんだ。



 此処までのやり方や、自身の信念を貫くのは勝手であろう。だが、何かを変えようとする場合、その自身の考えを正しいと押し付ける事は正しいとは云えないんだな。結果を見ないうちから、どうせ出来ない(または売れない)と云って、定番の補充しかしない店に、魅力は無い。そんな事が解らないで前へ進めるかってんだ。



 売れない、なんて嘆いてる暇がありゃ、売ろうと努力をしようよ。売れないモノを他に戻したり、返したりした所で、何のメリットも無いと知らなければならない。何が売れ筋で、波が何処に来ているかを的確に判断し、それに乗る事が大切なんだな。気分次第で生殺与奪を決めてはならない。それをしたいなら、自分が起業、または独立開業し、すべてを処理すべきだ。



働く者の士気を削ぐって事は、企業にとっての損失である。従業員も一生懸命なんである。何が大切かって事は、理解の範疇であるし、結果を見越して判断もしているんだ。



今後の日本、超高齢化社会に突入する。向こう30年程は、老人福祉関連事業が隆盛を極めるかもしれない。でも本当に必要な事は、末期がんの患者や、要介護の高齢者が選択出来る、尊厳死、所謂、安楽死を認める必要が出て来る。これは薄っぺらな人道的モラルなんぞと同義にしては、決してならない事なんである。



国民が本気で取り組まなければならない重大な問題、「高齢化社会」。法律を作る人間は国会議員。国会議員は選挙で選出される。安楽死をテーマにした候補なぞ、気がふれていると思われるのがオチであるからして、誰も議題にすら挙げない。本当の事なんか、誰も云えないんである。


 現在の日本経済や、高齢化社会は、いわば自宅の大黒柱を削って某かに利用しているのと同じ状況なんである。誰が考えても明らかなる未来を、へらへらとやり過ごしているばかりの腑抜けな国民や、その代表たる政治家諸君、決してアナーキックな考えなんぞではあるまいよ。勘違いをしてはいけない。此処で云う事は、「死」を推奨するなんて事では決して無く、死を選ぶ事もまた権利であるべきだ、という事である。昔、武士が切腹を余儀なくされ、腹を切った際、介錯人という、いわばその腹を切った人を、武士の情けでもって首を刎ね、とどめを刺す人が居た。切腹すると、腹から臓物が飛び出し、痛みでもがき苦しむが、なかなか死なないので、せめて首を刎ねて楽にしてやろうと云う、安楽死指南役、これが介錯人である。



 腹を切ってのたうち回って苦しんで死んで行くのを見ている事が人道的だと云うのだろうか?現在の人道的って使い方は、その、遠巻きに見ている物見遊山の輩そのものの意見であると、俺様は考える。







俺様の主張は、果たして過激な意見なんだろうか?

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